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Qリポートです。自らハンセン病回復者であることを公表し、現在、名護市の沖縄愛楽園でボランティアガイドをしている男性がいます。

男性はハンセン病回復者であることを長年、隠し続けてきましたが、なぜカミングアウトをしたのか。ガイドを通じて何を伝えたいのか男性の思いを取材しました。

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平良仁雄さん「ハンセン病になったものは、人間の形はしているけれども、人間として取り扱っていなかった。人権侵害されて、ですから、希望も家族も子どもも全部奪われたのがねぇ、あのらい予防法隔離政策なんですよ。」「こういう話をするときにねぇ、やさしい小さな声で、こういう話できますか?」

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平良仁雄さんは、久米島生まれの72歳です。現在、自身が入所していた沖縄愛楽園でボランティアガイドをしています。平良さんは9歳のときハンセン病を発症し、沖縄愛楽園に強制的に入所させられました。

病気を完治させ、園を退所し社会復帰をしても回復者であることを周りに知られることを恐れていました。

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平良さん「戦々恐々でね。どこか人前に座るときは、指がこういう指なのでそれが人に分からないに腕組みしてこう座って、そうしていた。」

長年、ハンセン病回復者であることを隠し続けてきた平良さんでしたが、3年前、シンポジウムに詰め掛けた観客の真剣な表情で話しに聞き入っていた姿が告白のきっかけとなりました。

平良さん「こんな大勢の人がね私たちを迎えてくれるのでって。これにまた感動した。だから私ががんばってカミングアウトしたことじゃなくって、自分がしらないうちに大勢の人の心の温かさに押し出されていったという感じです。」

今月、名護市で開かれたハンセン病市民学会。療養所の退所者の1人として壇上に上がった平良さんは、回復者の心の傷は、とても深いと訴えます。

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平良さん「長い隔離政策の中でいま、ハンセン病という病気は治りましたけれども、心の痛みは入ってしまった。退所者の心の中にはまだまだ、らい予防法隔離政策の被害が残っているわけです。そこで皆さん、この問題を退所者の私たちと一緒になって考えようではありませんか。」

平良さんは、愛楽園でのガイドを通じてもっと多くの人にハンセン病回復者への理解を深めていきたいと話します。

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平良さん「どうやったらねぇ、一般の皆さんがその元ハンセン病だった人たちにどうやって関わっていったらいいか。それを伝えたい。その心の悩みを思っている人たちは、人の言葉ではねぇ、癒されない。暖かいものを持ってねぇ、接して欲しいなと、それを伝えたい。」

参加者「本当に想像絶する考えられないつらい出来事だなぁと、思い考えるとてもいい機会だったと思います。」

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多くの温かい気持ちに触れて、回復者であることを告白した平良さん。未だ多くの回復者がカミングアウトできないことに、平良さんは、その気持ちを後押しします。

平良さん「退所した人たちが迎える体制がある、そのなかに入っていて欲しい。お互い交わりして欲しい。自分のことをいうとね、暖かいものに触れて私はカミングアウトができたけれども、これは始まりなんですよ。」

社会の偏見や差別を恐れ、ハンセン病回復者であることを隠し続けた平良さん。この人生を自分らしく生きたいと訴えます。

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平良さん「私の人生、半分以上ねハンセン病だった「らい患者」であった、レッテルをねぇ張られて生きてきたわけですよ。人生の最後ぐらいはねぇ、自分でいいこと話したいこと言わしてよ、とにかく生かして欲しい」

多くの人の温かい心に触れたことで、自らの病歴を公表した平良さん。未だ声を出せないでいる多くのハンセン病回復者が共に生きる社会を目指して、これからもボランティアガイドを続けます。

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ハンセン病回復者や家族に対する、偏見や差別は未だ根強く社会に残っています。その一方で、市民と回復者、その家族が、みんなでこの問題に取り組む動きも見えています。

国の隔離政策で、回復者は奪われた時間を取り戻すことはできません。せめても長年の心の傷を癒すために国は政策をしなければなりませんがその政策は不十分です。

しっかりした知識を持って現状に目を向け過去をしっかり学ぶことが求められています。