2011年5月11日 18時45分

Qリポート 原発点検労働者の実態

沖縄に原子力発電所はありませんが、出稼ぎ労働者を数多く原発に送り込んできた歴史があります。2005年には県内の50代の男性が原発で被曝して死亡し、労働災害が認定されたケースもあります。沖縄と原発がどう関わってきたのか。原発で働く沖縄の労働者の実態を取材しました。

樋口さん「原発労働者たちの話を聞くと、ノルマ仕事ばっかりだって。ノルマだからこれをやらなかったら給料がもらえない。仕方ないからマスクをはずすんだって。一回くらいならいいだろうって何回も何回も繰り返していくと、内部被曝という恐ろしい現実が待ってる」

放射能で汚染された現場で働く「原発労働者」たち。被曝量の限度示すアラームが鳴ると交代し、人海戦術で作業します。内部に入るのはほとんどが下請け、孫請けの労働者です。

40年、彼らを追いかけてきたフォトジャーナリストの樋口健二さん。先日、沖縄から原発問題を考える講演会で沖縄を訪れました。

樋口さん「28歳の青年の死。」母の言葉「まさか。原発の中が汚れているなんて。平和利用と行ったじゃないですか。安全でくりーんだといったじゃないですか。」僕の前で泣き崩れました「12カ所、改ざんされていました。島橋君が亡くなった翌日に。下請けの会社がこれ全部書き換えたの。被曝線量が多すぎて」

過酷な原発労働者の実態に、言葉を失う学生たち。樋口さんは、原発で働いた人の累計は200万人、そのうち被曝した人は50万人を超すと見ています。

樋口さん「50万人というのは僕はごく常識的な数字と思っている。実は今、54基の原発が動いていますね,古くなればなるほど放射線がうなるように出てくるわけだね。被爆労働者は増えているって言うことですよ」「沖縄からまだ結構行ってるんじゃないかなと思いますね」

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高い失業率を背景に出稼ぎ労働者が多い沖縄では短期間でまとまった収入がある仕事に人気があります。原子力発電所はさらに「クリーンな仕事」というイメージが定着していて、リピート率も高く、全国の原発を渡り歩く人も少なくありません。元原発労働者に話を聞きました。

Aさん「手取りはよかったんですよ。最低でも35万くらいあって。残業すると40万超えるんですね。手取りが。」「沖縄の方にあったことありますか? ありますあります。みんな何年もやってる方で、社員の方もいましたし」「沖縄の若い方もいましたよ14年前2〜30人はいました」

Bさん「マニュアル通りにやればこなせる仕事なんで。ああいいなあと、被爆線量をなるべく浴びないように仕事すれば楽な上に給料はいい」「放射能ってぴんとこないし」彼らは各原発の定期検査に合わせて全国の原発を転々とし放射能漏れのチェックを仕事にしていました。

Aさん「周りで被爆した人はいましたか? いましたね。どんな状況?部分被爆ですね。足の方を被爆したとか」「やけどみたいになった その後は一年間は入れないですね」「もう一度行くかと言えば行くというと思いますよ。リピート率、かなり高いと思います。ただ自分の子供にそう言う仕事やりたいんだけどといわれれば反対します。もしもって言うことがあるしね」

樋口さん「原発っていうのは国策だ。国家ぐるみで犯罪を犯してきたと思ってください」「国民はこのことを知らなければいけなかったの。それを40年間隠してきたの」 講演を聞きにきたこの女性は 6年前、最愛の夫を亡くしました。放射能漏れを調べる仕事で被爆したのです。医療事務をしていた末子さんは放射線の怖さを知っていたため原発の仕事には最初から大反対でした。 

末子さん「でも職安からの紹介だから大丈夫だよっていうんもんで、職安の紹介でも、放射線漏れのチェックをすると言うことはね自分が被爆すると言うことだよ、だったら絶対病気になるからって」

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夫の正さんは宮城島の出身。素潜りが得意で、休みのたびに夫婦で一緒に海に行き貝や魚を捕っていました。末子さんにとって、初恋の人でした。

末子さん「元気だし、健康そのものだし。スポーツもやってるし。ああこの方だったら70,80まででもいっしょにやっていけるなと思って、それでもう結婚しました。」しかし原発の仕事を始めると、みるみる体力が落ち、正さんの手足は異常に冷たくなったそうです。

末子さん「だんだん海に行くのが減ってきたんですよ。今日海に行く?というと、うーん、なんかからだがだるいから今日はこの辺に行こうとか公園に行こうとか。」「お風呂場で塊の鼻血が出るって。おかしいね、おかしいねが一年続いた」「そう言ってる間に顔がこんなに腫れてきたんですよ。もうびっくりして。」

病名は「悪性リンパ腫」 原発の仕事をして6年。53歳の若さで亡くなったのです。

末子さん「もう、規定の3倍以上浴びてみたいなんですよねうちの主人は。それに私びっくりして。は?って。だったらもう命はないねって」「ほんとに、あの若さはどこに行ったかねというくらい1年間で70か80歳くらいの年齢に見えたんで」「一日でも、一日でもね長く、主人のそばにいたかったんですけどね(涙)」

これだけの放射線を浴びながら、当初、正さんの労災は認められませんでした。2005年の段階で、原発の労災認定は全国でたったの6件。でも入院費用は軽く1千万超えていました。末子さんは、泣き寝入りはできないと全国で署名運動を展開。3年後、労災を勝ち取ったのです。

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末子さん「被爆してなくなった方たち、多分たくさんいるでしょうねって私思ってるんですけど、しかも労災手続きされていない方もたくさんいるともうんですよ」「やっぱり放射線とか被曝、大変だよって最初から教えてくれれば、そんな仕事やる方はいないですよ。自分の命を削ってまでは。」「ただ国が大丈夫、安全だって言うもんですから皆さんはそういう風に仕事を続けておられると思いますよ。でも私は猛反対ですね、最初から」

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