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65年前のこの頃、満州にいた少女はマイナス30度の厳しい寒さの中、収容所にいました。

南風原町の石川キヨさんは1943年、15歳のときに満州に渡りました。当時、満州では日本からの満蒙開拓団が地元住民や朝鮮からの移民を立ち退かせて移住。沖縄からも4つの村からの移民が主に農業をして生活していました。敗戦は、突然知らされます。

石川キヨさん「(敗戦は)日本兵の敗残兵が来たからわかりよった。敗残兵がいると言って、ロシア兵が来た。ロシア兵が(敗残兵を)みんな連れていった」

その後、石川さんたちは3日かけて歩き、チチハル市の中学校に収容されます。12月、マイナス30度以下にもなる厳しい寒さ。

石川キヨさん「手の骨、これが痛い。寒いからとっても痛い」

さらに、チフスやジフテリアが発生。教室での共同生活でまたたくまに蔓延し、1年足らずで240人が命を落としました。

石川キヨさん「みんなで協力して火葬して。これをまた親が遺骨を取る。(遺骨を)靴箱に入れよった」

家族で南風原に戻ったのは翌年の11月。そこで石川さんは不思議な光景を目にします。

石川キヨさん「黄金森、近くなって見えよった。みんな焼け野原だから、とても近くに見えよった」