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65年前の12月、被爆者として沖縄に帰ってきた壺屋焼の陶工がいました。

島袋常明さん「稲光がして、いい天気でも稲光があるねぇと言って天を見たら、雲が寄ってくるわけですよ。寄ってきたらパーンという音も聞こえて」

島袋常明さん。現役の壺屋焼の職人の中では最高齢の85歳です。少年時代から壺屋焼の修業をしていましたが、戦争が始まると長崎の造船所に動員されました。常明さんは、その造船所で8月9日の朝を迎えます。

常明さん「人が死んでたよ、お腹も大きくなってね。(たくさん?)うん、たくさん」

常明さんはその後、仕事を求めて各地を転々としますが、65年前の12月、ようやく壺屋に戻ることができました。

常明さん「帰ってきたらみんな普通に、今みたいに仕事をやっていた。だから、あれ、もうこんなにやってるのと言った」

戦争に、そして原爆に翻弄された青年時代。壺屋に戻ってからは、仲間とともに、新生・壺屋焼の再生に情熱を注ぎ、誰もが認める一流の職人となりました。

常明さん「あんないろいろ武器を持っているところに立ち向かうんだからね。それ考えるともう本当に日本人は何考えていたかなと思うわけ。戦争ですか?戦争は怖いなぁと思うですよ」