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65年前のきょう疎開先の台湾にいた八重山の人々を引き揚げさせるため、石垣町長は、台湾へと向かいました。

八重山から台湾に疎開した人はおよそ2500人。敗戦を知った人々は島に引き揚げるため、基隆や蘇襖南方などの港に集まりました。しかし宿泊先もなく港の倉庫などで寝泊まりし、船便を待ったのでした。

食糧とてなく、生活はたちまち困窮し、悲惨な状態におかれました。その情報を受け、石垣町の翁長信全町長は12月7日、自ら台湾へと向かい、疎開者の引き揚げに東奔西走しました。

八重山ではマラリアが猛威をふるい食糧はひっ迫し社会は混乱状態。一方で、台湾に疎開させた行政の責任として、一刻も早く住民を引き揚げさせなければならない。島も地獄、疎開者も地獄、翁長町長の苦悩は続きました。