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10月、疎開先の熊本で終戦を迎えた大城ミヨさんは変わり果てた故郷の姿に愕然とします。

大城ミヨさん「生きてて良かったねって言った時に、何とも言えませんでした、母が抱きついてきてね。それが脳裏から離れませんよ」

10月のちょうど今頃、姉と弟の3人で故郷の奥武島に戻った大城ミヨさんが目の当たりにしたのは変わり果てた街並みと多くの友人や親類の戦死という現実でした。大城さんの戦後はそこから始まったのです。

大城さん「栄養失調は沢山いました。親がいなくて、皆身に付けるものもない、食べるものも無くて本当にもうかわいそうでした」

苦しい生活のなか、大城さんの母は女手一つで10人の兄弟を育て上げました。

大城さん「もう本当に苦労って(母は)言ってました。今は母子家庭って言ってもあれだけど、戦前の母子家庭は本当に惨めでした。親孝行しようと思ったら親はいないですよね。もうそれが本当に悔しいです」

自分の空腹を我慢して食べ物を差し出してくれた母のことを、大城さんは忘れたことはありません。