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65年前のこのころ、収容所では住民たちがアメリカ軍の作業をして生活物資を得る軍作業が始まりました。

本島上陸以降、アメリカ軍は沖縄守備軍と闘いながら、次々と住民を収容所へ送り込みました。琉球大学の川平成雄教授の研究によると、アメリカ軍は住民たちに食糧や衣料を無償配給する代わりに、物資の運搬やマラリアを媒介する蚊の発生源である集落の水ガメなどを割る作業に従事させます。これが軍作業の始まりでした。

軍作業の報酬は食糧や衣類のほか、タバコや靴、お菓子など、当時の高級品での現物支給でした。貨幣経済が崩壊している中、住民たちは物々交換によって、配給では足りない品物を調達し、特にタバコは貴重だったため、通貨的な役割さえ担っていたといいます。

戦争で生きる手段を全て失った住民たちは、戦後しばらく軍作業に従事するしか生きる術はなかったのでした。