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10月に入って、石垣島の日本軍も武装解除され日本兵はふるさとへ帰還し八重山の住民も島に帰り始めました。

アメリカ軍は奄美、沖縄本島、宮古、八重山の4群島にいた日本軍の責任者を呼び、日本の全面降伏を記した文書に調印。これにより沖縄、奄美における日本の施政権は、アメリカ側に移ったのでした。

10月中旬、石垣島に上陸したアメリカ軍は、すでに武装解除していた日本軍の武器、弾薬を海中に投棄したり高射砲陣地など、日本軍の軍事施設を次々と破壊していきました。その後日本兵は徐々に石垣港から古里に復員しますが、町中には、帰還を待つ日本兵があふれ、台湾などに疎開していた石垣島の住民の引き揚げも始まりました。

しかし、島には食糧が不足していて、食糧をめぐるトラブルが多発し、住民にとっては戦争が終わっても食糧との戦いが待ち受けていたのです。