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65年前のきょう、糸満市米須の徳元孝助さんは宜野湾市野嵩の捕虜収容所にいました。

アメリカ軍が進攻した本島南部。米須の徳元さんは、ひめゆりの塔の下にある壕に家族と避難。しかし、日本軍に追い出され、近くの壕に逃げ延び、8月までの2か月間、その小さな壕で暮らしました。

徳元孝助さん「ここは畑で、あっちは山だったんだよ。上がって山のところに壕あったからね」

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8月下旬、壕から出るとアメリカ兵に見つかり、宜野湾市の野嵩収容所に送られます。収容所といっても焼け残った民家を接収したもの。そこに2万人近くの人々が生活していたといいます。

徳元孝助さん「嘉手納飛行場のあちこちの職場に、洗濯するとか、炊事とかいろいろ女性を送る。(私を含め)2人は監視して回って」

9月下旬に糸満市に戻るまで、徳元さんらは収容所から基地へ連れて行かれ、軍作業に追われていました。

徳元孝助さん「戦争すればどういうことになるかわかっているのに、何のために戦争やるのかなと思うさ。平和より良いことないよ」