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65年前のきょう、本島北部でまだ戦闘を続けていた日本軍の部隊が投降します。

1944年7月に長崎の佐世保で編成された第27魚雷艇隊。編成後、魚雷艇は次々と沖縄本島北部の運天港に造られた基地に移送されます。

海上で敵艦に近づき、魚雷攻撃を加える魚雷艇隊は沖縄戦当初は成果も報告されましたが、敵の空襲などの影響を受け、魚雷艇の数は徐々に減っていきます。

そして、アメリカ軍の沖縄本島上陸後の4月以降、部隊は海上での作戦を放棄し、陸上での戦闘に参加するよう命ぜられます。

本部半島やヤンバル地区で終戦後までアメリカ軍とゲリラ的な戦闘を続けた部隊が日本軍の降伏を知ったのは8月の末。そして9月3日正午、沖縄でのおよそ1年に及ぶ戦闘を終えた隊員およそ200人は潜んでいた山の中からアメリカ兵の居並ぶ羽地の集落に降り、投降しました。