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65年前のきょう,久米島では、また日本軍による住民の虐殺がありました。日本軍は、自分たちを守ってくれると思っていました? 喜友村さん「それは、片方ではあるしね,アメリカもほんとに何もしないのか それもはっきりわからないのよ,そういう話は、明勇さんから聞いているんだけどね」喜友村さんが語る明勇さんとは、65年前のきょう 日本軍に殺害された仲村渠明勇さんのことです。

明勇さんは、山奥に隠れていた喜友村さん住民らに「アメリカ軍は、危害を加えないから山から降りてくるように」と説得をして歩きまわっていました。

喜友村さん「うちは、友軍が気になるものだから すぐは降りてこなかったですよ」

沖縄本島で捕虜になった明勇さんは、ふるさとの住民を救いたいとアメリカ軍と一緒に道案内役として久米島へ帰ってきました。それを知った久米島に駐屯していた日本軍の鹿山隊長は、明勇さんがとった行動が「スパイ行為」であるとみなし明勇さんとその妻そして一才の子ども家族3人の命を奪ったのです。

惨殺された遺体を見つけた喜友村さんは、これまで語れなかったことを告白しました。

喜友村さん「頭がなかった これおかしいなって,そんなに人には、話しなかったけど」翌日 遺体を確認したら3人の頭部が無かったといいます。喜友村さん「今考えてみたら(頭部は)隊長の前に確認させて持って行ったんじゃないかなって 想像している。」久米島では、日本軍のこのような残虐な行為がこの後も続いたのです。