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65年前のきのう、日本国民は玉音放送で敗戦を知ります。しかし、沖縄では殆どの住民が終戦を知りませんでした。

玉音放送「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び・・・」

65年前のきのう、ラジオを通じて、多くの日本国民は敗戦を知る瞬間を共にしました。一方、沖縄では戦争の混乱などもあり、玉音放送を聴くことができたのは、ごく一部の人だけだったといいます。

竹富島に住む当時8歳だった阿佐伊孫良さん。当時の竹富島の様子をこう話します。

阿佐伊孫良さん「おそらく(竹富島にほとんど)ラジオはなかったんじゃないかと思います。玉音放送は一切聞いていない」

当時、竹富島には大石隊という部隊が駐屯していましたが、その隊長すらも終戦の一報を電文で受け取ったのは、翌日の16日でした。

阿佐伊さん「すすり泣きをしていたんです。島民も。それから兵隊も。異様な雰囲気だなということで、なんだろうと。戦争が終わったと。(両親は)ホっとしたような気分だったんじゃないでしょうか」

玉音放送から遅れることおよそ1週間後の22日頃、隊の大石隊長は国民学校の運動場に島民や兵士を集め、終戦の詔勅を伝えたのでした。