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65年前のきょうもアメリカ軍の掃討作戦が続けられた沖縄。当時のアメリカ軍の情報機関、G2による戦時記録にはこう記されています。

「8月13日、本島。日本兵28人を殺し、日本兵3人、朝鮮人軍夫2人を捕らえる。真壁の北東で一集団9人の日本兵を殺す。全員手榴弾を持っていた。浦添城跡の東で人数不明の集団のうち8人を殺す。武富近くに狙撃兵あり。その他、各地で日本兵との接触があるが、規模は小さい。洞窟に隠れていた日本兵によって、戦果探しのアメリカ兵数人が負傷し、1人が殺される」

翌14日も戦闘が続く中、日本はこの日、連合国が降伏を迫ったポツダム宣言を受諾します。

7月26日に発せされたポツダム宣言を日本は一旦『黙殺』しますが、8月6日、9日の広島、長崎への原子爆弾投下、9日未明にはソ連が日ソ中立条約を破棄して満州に侵攻してきたため、受諾を決めたのです。

そして翌15日、天皇は玉音放送で日本の敗戦を国民に伝えます。