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65年前の今頃、大宜味村では避難のために山奥で生活していた人たちが動き出しました。

大宜味村の山奥に隠れ住んでいた平良さんら住民は餓死から逃れるため山を降りる決心をします。それを止めようとしたのは日本軍でした。

平良さん「だから、敗残兵、つまり山奥にいる日本軍、当時は友軍っていったがのこのこ出入りしていることを知っているから米軍は何時にってね。そこでちょうど土手がありましてね、ねらい撃ちがきくわけですこうしてね、川があるでしょ、畑のほうへ橋の上で至近距離ですよ3メーター5,6メーターやったと。行くと鮮血がね、ドロドロとした血がいっぱいあったよ」

山にこもって三々五々ゲリラ戦を続行する日本兵。彼らにとってアメリカ軍と交渉しようとする住民は作戦上許せない存在と映ったのです。かつての友軍は恐ろしい存在になっていました。

平良さん「この時ごろじゃないうちのオヤジがひっぱられるんですよ米軍に。(なんでひっぱられたんですか?)山にいる日本軍と連絡取り合って、なにかするんじゃないかと疑い、嫌疑かけられたわけ。2、3日、1週間帰ってこないからもうやられたんだと思って」

その後平良さんは父親と再会を果たします。

平良さん「後から聞くと辺土名の豚小屋のところ、そこを仮に囲んで牢屋にいたらしい。(天井が)低いでしょ大変だったらしい日照りとか真夏でしょ。」

アメリカ軍には日本軍に協力していると責められ友軍にはアメリカの捕虜のなるなと止められ北部山中は7月もこれまで以上に厳しい状況が続いていました。