※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。
News Photo

日本軍による組織的な戦闘が終わった後も多くの敗残兵が南部に残り、7月に入っても断片的な戦闘は続きます。

投降のビラをアメリカ兵に手渡し、血だらけの状態で捕虜となる日本兵。本島南部では第32軍を率いた牛島満司令官が6月下旬に摩文仁の洞窟内で自決した後も、多くの日本兵が洞窟や山の中に隠れて断続的に戦闘を続けていました。

しかし、この時期になると多くの敗残兵が一人、また一人とアメリカ軍に投降。彼らの多くは、畑の中に一時的につくられた収容所に閉じ込められました。

日本兵の背中に記されたPWの文字。これは「プリズナー・オブ・ウォー(Prisoner of War)」戦争捕虜を示すサインです。

左目の手当てを受けているのはあどけない少年兵。収容所ではアメリカ軍から食糧の配給も受け、日本兵達はそれぞれの器で汁物などの食事を受け取っていました。それでもやはり配給量は十分ではなく、収容所では水の奪い合いも頻繁に起きていました。