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65年前のきょう、第32軍の総司令官、牛島満中将が自決。司令官が残した命令は戦場をさらに混乱させました。

日頃は、固く閉ざされた摩文仁の総司令部壕。65年前のきょう牛島中将はこの壕で自決しました。牛島中将の孫牛島貞満さん。祖父の足跡を辿るため初めて壕に入ってから10回以上になります。

初めて入った時にはどういう気持ちでしたか?牛島さん「こんなに簡単なね、設備の整っていない壕で、32軍を指揮したのかと思うと、やっぱりびっくりしましたね」そして、23日未明牛島中将は自決します。

しかし、牛島中将が残した「最後まで敢闘せよ」という命令によって、日本兵の抵抗は続きこの日以降も、多くの住民がアメリカ軍の掃討戦の犠牲になりました。

家族や沖縄の人にも優しい人だと思われていたという祖父がなぜこんな命令を出したのか、この課題が牛島さんを沖縄に通わせています。

どうして残虐な命令を出したと思うか?牛島さん「やはり、天皇のほうを向いていたんじゃないかと。最終的には、いくら人柄が優しくても、天皇に忠誠を尽くすのが祖父の生き方だったと思う。そうすると、やっぱり県民のほうは向いていなかったということだと思いますね」