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1945年5月。アメリカ軍の上陸からおよそ一か月、このときすでに本島中北部各地にはアメリカ軍による戦争難民収容所が作られていました。

そのうち、石川地区の収容所ではきょう5月7日、子どもたちを集めて初等教育が始まりました。

うるま市の城前小学校に残る教育発祥の地の石碑には「校舎はおろか、机や腰かけ、教科書もない青空教室で子どもたちは砂の上に指で文字を書き勉強を始めた」と当時の様子が記されています。

浦添から那覇と、南部一帯では日本の勝利を信じ続ける住民と最後の抵抗を続ける日本軍が泥沼の戦いに突き進む中、アメリカ軍はすでに戦後を見越し、子どもたちへの教育を開始していたのです。