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ゴールデンウィーク・ANN九州・沖縄・山口ブロック企画、テーマは「まっすぐに」。方言漫談師として沖縄を飛び回り笑いを提供している人がいます。その方はなんと81歳のおじいちゃん。おじいちゃんが方言漫談を始めたのも、まっすぐにある人に向けられた思いからでした。

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「綾小路きみまろ うちなー版 へーばるのブーテン(南風原の舞天)やいびーしが」

白衣に身を包み、ちょびひげに大きな蝶ネクタイがトレードマークの方言漫談師。「へーばるブーテン」こと村田用ニさん(81歳)。

「『厚化粧 ハエは止まるが 蚊は刺せない』(顔に)ペンキ塗やーにおしろいちきてぃ、厚くとぅガジャン(蚊)は刺せない」

沖縄の方言を織り交ぜながら観客を笑いの渦に巻き込むのです。その振る舞いは、まさにチャップリンのよう・・・。

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それもそのはず、村田さんが影響をうけたのは、沖縄のチャップリンと慕われた「小那覇舞天(おなはぶーてん)」

終戦直後、焼け野原となった沖縄では、地元の劇団や民謡歌手らが収容所を慰問し、歌や踊りなどで収容所の人たちを癒していました。

小那覇舞天もその一人。本業は歯科医でありながら、方言漫談師として笑いで生きる力と勇気を与えた伝説の人物です。

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高校の国語教師だった村田さん。その伝説の人物にあやかり、退職後は「へーばるブーテン」と名乗って活動をスタート。70歳と遅いデビューでしたが、当時、脳梗塞を患い療養していた妻の武子さんの介護をしていた事もきっかけでした。

「うちの家内が倒れて14年になる。あんまり憂鬱になってもいかないから」

村田さんの妻・武子さんはスポーツが得意で、若い頃からバレーボールをするなど健康そのものでした。しかし、倒れた後は失語症を併発。自分の意思を伝えることが出来なくなったのです。

「母ちゃん、生まれ変わってもお前と一緒になるんだよっと言ったら、うなずいてポロポロ涙流して、僕ももらい泣きしました。冗談の冗の字もでないくらいでしたね、あの頃は」

そんな辛い時期を乗り越えることができたのも笑いの力でした。介護の合間の漫談活動が二人の生活を変えていったのです。

「『あらまぁ!私は伊良部の人よ』こうして笑うんですよ、笑っているでしょ。かあちゃん歯もないのに笑う?こんなに笑ったら上等さ」

武子さんの病室内には「へーばるブーテン」の活躍の軌跡がびっしり。去年は、高齢者で生き生きとした生活をしている人に贈られる内閣府の賞も受けました。

村田さんの武子さんに対する深い愛情は、漫談を通してまっすぐに向けられていたのです。

「父ちゃん好きでしょ!すーきーっていってごらん、すきー(笑い)一緒に長生きしようね、かあちゃんだけ長生きする?父ちゃんも一緒にやろうね」

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「村田用ニの顔とかけて一円玉と解く、その心は?これ以上崩せない、これ笑ったら僕困るんじゃないですか?こういうときには、笑いたくても辛抱する」

観客「笑って笑ってね、風邪も治ったみたいです」「すばらしい方言漫談でよかった」

大切な人を笑いで励ましたい。その思いできょうも、へーばるブーテンは舞台に上がります

「笑うこと、常に人を明るくしながら自分も笑う。これが長生きのコツです。笑いなくして命はない」