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1945、佐久本喜範さんは鉄血勤皇隊として金武へ。空襲が激しくなった3月下旬、県立二中の5年生だった少年は、鉄血勤皇隊として金武に配属されました。

佐久本喜範さん「小禄(飛行場の)掩帯壕づくりとか高射砲陣地とか読谷飛行場。(読谷は)2週間くらい行きました、泊り込みで。そういうことで勉強もほとんどやっていないです」

学校が空襲で焼け落ち、、その後は鉄血勤皇隊として金武に配属された佐久本さん。そこには日本軍の特攻隊基地がありました。

佐久本喜範さん「水上特攻隊というのがあった。(舟の)前に爆弾つけて軍艦に突っ込む」「それが訓練中にやられたんです。B24に銃撃されて。阿鼻叫喚でしたね」

金武でも空襲が激しくなり鉄血勤皇隊は現地解散。佐久本さんはやんばるの山の中を必死で逃げ回ったといいます。

佐久本喜範さん「無茶な戦争だったんじゃないかと思うんですけどね。だからこれからは戦争はやるもんじゃないですよ」