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65年前、少女は、終業式を目前に家族で北へと逃げました。

当時の楚辺小学校高等科1年生だった照屋文子さん。教室は日本軍に取り上げられるなか、登校時には決まってすることがありました。

照屋文子さん「ルーズベルト、チャーチルのわら人形があって、門に入るまでに『矢つけ!』とついてから門に入った」

終業式を目前に、戦況が悪くなってくると学校は解散。照屋さんは母と姉と3人でひたすら北を目指しました。

照屋さん「夜だけ歩いて、足引きずって。5日間かかった。荷物を持って移動」

やんばるの森での生活はおよそ6カ月続きます。生きるためにみな必死。食糧がなくなるとソテツや草を食べて命を繋ぎました。

照屋さん「食べられる草は全部食べた。あのときよく生きていたねと思うよ」

那覇に戻ると、住んでいた家はもちろん、街中が跡形もなく焼け落ちていました。

照屋さん「負け戦なのに、最初から大きい国に向かうというのが。なんで軍隊は出ていったかねとワジワジするよ」