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占領したサイパンやグワムから日本本土を空襲し始めたアメリカ軍。より効率よく進めるため、次に狙ったのは、サイパンと東京のちょうど中間に位置する「硫黄島」でした。

65年前の2月19日、遂にアメリカ軍が硫黄島に上陸。ところが、日本軍はすぐには攻撃せず、かなりの部隊を上陸させた後一斉攻撃。アメリカ軍に大損害を与えます。しかし、硫黄島の部隊も沖縄同様、本土決戦を一日でも引き伸ばすよう大本営に命じられていて、最初から玉砕覚悟の戦いでした。

島の至る所に掘った壕から飛び出して攻撃し、すぐに地下壕へ隠れる戦術に徹した日本軍。しかし、兵力・武器の補給のない戦いは65年前の今日、幕を閉じます。アメリカ軍は当初、攻略予定は5日間、1万5千人の死傷者を予想していました。最終的にアメリカ軍の死者・ケガ人は2万8千人、日本軍2万1千人で、アメリカ軍の損害が日本を上回りました。

幸い上陸の7ヶ月前に硫黄島の島民は疎開を終えていて、戦闘に巻き込まれずにすみましたが、硫黄島を制したアメリカ軍の次の狙いは、多くの住民を抱える沖縄。硫黄島の部隊を率いた栗林陸軍中将は「決別の電文」に、こう記しています。「防備上に問題があるとすれば、それは米国との物量の絶対的な差で、結局、戦術も対策も施す余地なかりしことなり。」