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戦時情勢が厳しくなる中、八重山では農林学校の生徒を中心に鉄血勤皇隊が編成され、軍事教練に駆り出されました。

1944年10月、国は「緊急学徒勤労動員方策要綱及び決戦非常時措置要綱」に基づく「学徒動員実施要綱」を決定。翌45年3月、八重山では「決戦教育措置要綱」によって、県立八重山農林学校や八重山中学校、八重山高等女学校の生徒たちが戦争へと駆り出されることになりました。

石垣島飛行場建設やアメリカ軍の戦闘機を迎え撃つための壕掘り作業を行っていた男子生徒たちは鉄血勤皇隊として編成され、3月からは現在の石垣市立石垣中学校北側の松林の中で、日本軍による戦闘訓練が実施されました。

鉄血勤皇隊は対空監視、迫撃、通信の3つの班に振り分けられ、このうち迫撃班はタコツボと呼ばれる掘った穴に身を隠し、戦車への肉弾戦を想定した突撃訓練に明け暮れたのです。