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65年前の3月、まだ10代の少年少女たちも戦場へと駆り出されます。

当時の県学務課と軍により、学徒の戦場動員が前年12月に決定。通信技術などの訓練はすでに始まっていました。

県内の中等学校のうち一番早く動員されたのは県立第二中学校、二中の生徒たちでした。1日、3年生から上級生、また一部の下級生あわせて150人が10・10空襲で喪失した那覇市松尾の学び舎から金武国民学校に移動。陣地構築や戦闘訓練につきました。

鉄血勤皇隊として、そして通信隊として動員された二中学徒は270人。学徒以外も合わせると186人の生徒が亡くなりました。

沖縄にあった中等学校は当時21校。その全ては戦争で失われ、男女合わせておよそ1900人にのぼる少年少女が戦場で命を落としました。