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空襲が激しくなり県民が地上戦を意識し始めたころ、食糧の増産も本格化しました。

1945年の年頭、沖縄県は農作物の「総合生産計画」を発表。中でも力を入れたのは、主食だったイモの増産でした。

自然が相手で、計画通りに収穫できないことも多い農作物。しかし、県は「従来より約七千町歩のイモの増産」を計画通りに達成せよという過酷な目標を掲げたのです。

1945年1月8日の新聞。激しい空襲も恐れず畑を耕す、旧東風平村の人々を賞賛しています。また、サツマイモおよそ420グラムで、米一合のエネルギーに匹敵すると、イモ食を奨励。近づく地上戦の足音とともに食卓も大きく変わっていきます。