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1945年にアメリカ軍が読谷村から沖縄に上陸しその8年後に建設した楚辺通信所、通称『象のオリ』。2006年12月の土地の返還を受けてきょう31日、巨大なアンテナ部分の解体工事が始まりました。象のオリを形作るアンテナ用の30本の鉄塔。このうち31日に取り壊されたのは5本。直径200メートルの巨大な象のオリが半世紀以上の年月を経て大きな口を開けました。

1995年にアメリカ兵による少女暴行事件が発生し、その後、当時の大田知事が土地の強制使用に対する代理署名を拒否したことによって国は96年4月1日午前0時、楚辺通信所の使用権限を失いました。しかし国はその日から約1年間にわたって象のオリの土地を不法に占拠。そして政府は、知事の署名が無くても国が土地を使用できるよう法律を変え強制使用を続けたのです。

一方、日米両政府は96年、5年後の2001年までに象のオリを返還することに合意しましたが、キャンプハンセン内の代わりの施設の建設が進まずに返還は大幅に遅れ結局、土地の返還が実現したのは2006年の12月でした。そしてきょう31日、国が不法占拠とともに作ったフェンスの外から那覇防衛施設局の職員が見守る中ようやく始まったアンテナの撤去作業。この土地がさら地に戻され地主が使えるようになるのは7月以降です。

最も衝撃だったのが駐留軍用地特措法の改定。県民の代表、知事の署名が無くても土地を勝手に使うことができるように法律まで変えたという、地元の声を力ずくで押さえ込んだ政府の行為は許されません。また、楚辺通信所はなくなるのですがその代わりの施設がキャンプハンセン、沖縄県内に新たに造られています。