名護親方とは

名護親方、中国名で程順則(ていじゅんそく)は1663年に久米村で生まれ、沖縄名を寵文(ちょうぶん)といいます。

1728年に名護間切の総地頭(今の市長)となり、名護親方と呼ばれるようになりました。政治家、学者、教育者としても知られています。

彼は21歳から5回、中国にわたって学問を深め、「六諭衍義」や「指南広義」を琉球に持ち帰り、琉球の人々に広めました。

また、1718年には琉球で初めての学校「明倫堂」を設立しています。